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士魂部隊 池田末男大佐







占守島の戦い

 八月十五日の 昭和天皇陛下による詔勅により国際法上「停戦」となったが、ソ連スターリンの全千島列島と北海道本島まで占領する計画があり、十八日未明にソ連軍は占守島に上陸、二十一日まで続いた占守島での戦役を「占守島の戦い」と言います。また、占守島には日魯漁業の従業員二千五百名、内若い女性工員が四百名の非戦闘員の方々がおられました。大東亜戦争は未だ終わっていないのであります。




士魂部隊 池田末男大佐

 愛知県豊橋市出身の戦車第十一聯隊『士魂部隊』の連隊長であり、戦車隊の神様と言われた。厳寒時でも自分の下着の洗濯を当番兵にさせず、全て自分で洗濯するなど、常に部下を気遣われた。部下は連隊長に洗濯をさせて申し訳なさそうにしていると「お前は俺に仕えているのか。国に仕えているのだろう」と。部下思いの大佐への、将兵達の信望は非常に厚いものがあった。

そして十八日未明にソ連軍が占守島に上陸(欧州東部戦線でドイツ軍を打ち破った歴戦部隊であった)。六時には四嶺山に侵攻した。

 四嶺山のソ連軍を前に、撃滅を決心した池田末男大佐は部下を集めて問うた言葉があります。

「諸氏は赤穂浪士となって、恥を忍んで将来に仇を報ぜんとするか。或いは、白虎隊となり、玉砕をもって、〝民族の防波堤〟となって後世に問わんとするか。赤穂浪士たらんとする者は一歩前へ出よ。白虎隊たらんとする者は手を挙げよ。」

この言葉が終わるや、歓声と共に皆の手が挙がったという。

「池田聯隊はこれより敵中に突入せんとす、祖國の彌榮を祈る。」と師団司令部に打電し、池田末男大佐を先頭に四嶺山にいるソ連軍めがけて殺到した。

 八月二十一日、士魂部隊を始めとする日本軍守備隊は、厳しい戦闘の末、ソ連上陸軍を撃退しました。

 ソ連軍の死者は数千名にのぼり、損害は極めて大きく、一気に北海道本島まで侵攻する野望を断念せざるをえなかった。ソ連共産党機関紙イズベスチャは社説で、「占守島の戦いは、満州・朝鮮における戦闘より、はるかに損害が甚大であった。八月十八日はソ連人民の悲しみの日である。」と述べています。

 一方、池田末男大佐はじめ、士魂部隊の精鋭九十六名の勇士たちも、ここ占守島で戦死されました。士魂部隊を始めとする日本軍守備隊がいなければ北海道はソ連または米国になっていたかもしれません。今の朝鮮半島のように。

 八月十五日の停戦後、また九月二日の降伏文書に調印し休戦となるまでの間でも、各方面で無法な侵攻、非人道的行為に対し、自分の命を顧みず日本民族の防波堤となり、また白人至上主義からのアジア解放独立の為戦った軍人は沢山おられます。ソ連は休戦後でも攻撃は止めず、九月五日まで一方的な攻撃は続きました。





 今日八月十八日は池田末男大佐の忌み日です。

 改めて、池田末男大佐はじめ士魂部隊の全将兵の皆様に、功績を讃え、感謝と誓いを捧げると共に、この戦役で亡くなられた非戦闘員の方々のご冥福をお祈り申し上げます。 


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