​神道

 〝神道なるや我が心道なり〟

 随神(かんながら)(惟神の道)。

 皆様、神社の拝殿で何を目にして奉拝しますか?

 目の先に何が有りますか?

 きっと、どの様な社にも必ず〝鏡〟があります。〝鏡〟は己を写す〝御神鏡〟なのです。

 神社は決して願い事をする場では在りません。願い事、それは人の心の弱さで〝欲〟であり、それは支那から入ってきた仏教との融合による間違った考えです。 則ち、神道では、感謝する場で在り、お祭り、七五三、神前結婚式、お宮参り、人生儀礼などに必ず神式が存在する、〝神道〟であります。

 〝神道〟は日本人独自の考えで、外国のように〝教え〟ではありません。仏教、キリスト、イスラム、ヒンズー、カトリック、これら全て〝教〟であって、本来日本人の考えには合わないものです。 古来日本人は人生を〝道〟とし、神道、書道、華道、武道、歌道など〝道〟であふれています。 神道は宗教ではない観念の基であり、仏門のように像や経典も無い、神道は目に見えないもの〝魂〟〝霊〟〝気〟〝心〟に感謝することであります。

 しかし、人というのは目に見える物(仏像)や感謝ではなく、願いが叶って欲しいという〝欲〟に負けるものです。

 第二十九代 欽明天皇陛下の時代、朝鮮半島の百済から仏教が伝来しました。崇仏派の蘇我氏と         排仏派の物部氏とが対立。 第三十一代 用明天皇陛下は仏教に理解があり、また当時、人々は大陸の文明が魅力であり、目に見える物にすがり、死後極楽へ行きたいなど心の拠り所となりました。

 しかし、所詮仏門であり、共に寄り添う仏心は弱者の味方というより、人の〝欲〟から出た〝邪念〟であります。

 日本古来の神威こそ人の真心、清らかなる魂であろうに。

 

 仏門は命に重きを置くが、日本の神道は〝魂〟に重きを置きます。

 

 神道は天地悠久なり〝道〟の本領であり、崇高なる精神を培ひて人として歩むべき大道の道を開く基である。

 神の恵みと祖先の恩に感謝し、世の為、人の為に尽くし、神威を戴きて、世を作り固め成すこと。 神道の本領を発揮するのは己の心に偽りなく、至誠通神のみ、則ち気の集中。 神とは真理なり。 道に迷わば此れ則ち真理に照らし自我を見つめ直すところ。我が心と行いは常に神明が見守ってくださる。〝天地神明照鑑上〟に在り。

 神=霊・魂・気であり、霊とは肉体を離れた魂。魂とは己の中に共存する霊。気とはその精神を高揚する時の波。全て一つの崇高なるもの。神社に鎮まる神はすべて霊であり、自分の内なる処にある霊は則ち魂だが、この魂を目覚めさせれない者が多数であり、これは今自分がこの世に居ることが誰のおかげか? また、人は何のために生を受けて今この時この時代に生まれたのか? と、理解できぬことにある。

 神道の大道の基の部分は〝感謝〟である。自分がこの世に生まれたことは偉大なる御先祖が子に、そして孫へと博愛の念のバトンを繋げられたおかげである。そして、自分自身も愛する我が子へ、そして孫へとバトンを渡すもので、そのバトンこそ〝魂〟である。 だからこそ魂とは永遠に朽ちることの無い崇高なもの。人は一人では生き抜くことなど出来ない。人は人のために生まれ、互いに傷つけ合いながらも一歩づつ一歩づつ〝道〟を歩むことにあり。人生が平坦な道ではつまらなく、それは己を磨く道では無い。

 小生は今ここで、この文を読む全ての人に対して、言いたい!

 過去に囚われるな!

 未来に不安がるな!

 今を懸命に生きよ!

 人は誰しも大切なものを持っている。その大切なもの(魂)が常に己の中に在ることを忘れなければ道迷うこと無し。臨むべきは一本の大道のみ!

 命 は 一 代 か ぎ り  魂 は 末 代 な り て

     永 遠 不 滅 な り            和 魂