判断と決断

 

 我々の情報源の多くはテレビのニュース番組、新聞、ネットなど、何れも発信側の観点で判断され発信されている。 

 ただ日本は報道の自由があるが、必ずしも確かな情報源では無い。
 しかし、我々が判断して行動する発端も、ニュースや新聞、ネットである。

 本当に信用出来る『情報源』とは?何でもかんでも鵜呑みにして良いものなのか?問題の是非を問う。

 ある事件や問題があれば、それに対して自分の観点で判断する事が好ましいのか?それ以上、情報を容れる事は、発信側の意図に〝はまる〟。その『はまる』時は不思議と、これが真実で正しい情報と錯覚を人は起こす。人間は頭脳の創造力は無限を秘めているが?判断力は原始時代と何一つ変わって無い。

 問題の当事者と自分が遠ければ遠いほど、情報に尾ひれが付き誤報を掴み、真実と全く無根の問題になる。報道に対して偏向報道と揶揄する場合や批判する事がある。だが、我々の様な民族派も偏向報道と批判するものだが一般的な報道機関から情報を得るしか無い。

 『真実は一つ』なのですが、その真実に行き着くまでの過程に、人の風評やプロパガンダ、思考が入り込み、その時に自分自身が引っ掛かる。或は自分の心理面と似通った情報が入ると正確な判断は出来ないまま行動し答えを出す。人が判断力が弱いのは、結論を出したがる心理面と、自分の思っている事と情報が一つでも合致すると、本人はそのつもりが無くとも心理は『決め付け』て答えがでる。厄介なのは決め付けが一度付くと、聞く耳持たない状況になりやすい。この状態が拡がり大きな物になります。心と考えが一致しない事に気付かない行動となります。

 影響力のある有名人や報道の一流機関が発信側にいる事で、より信憑性を増し、知らぬ人の言葉より、自分が知っているだけで、それこそ、真実報道だと人は答えをだす。答えを出したがる。発信側の事例に対する捉え方で情報も変化し、より真実から遠い不透明な情報になる。単純明解な事柄なら発信側の思考も入りにくいし、話しの事柄も見えてくる。情報や連絡は全て単刀直入の方が判断を間違えにくい。

 しかし不透明な人の心情が多く入り込む報道は判断を鈍らせる。そんな状況でも人は結論を求める。人は人生は判断の連続であり、判断力は、何も進化する事無いまま歴史は繰り返される。

 だから人は洗脳と言う錯覚に落ちる。だから人は必ず繰り返す。頭脳の視野は広く判断の視野は狭い。人は戦争や大事件が現実に起きた事と認識して頭の片隅に有りながら、自分には無関係と錯覚する。人は歴史的な事件をテレビや物語の一部と勘違いしている。

 歴史的に起きた事は形を変えて必ず繰り返し起きる!時世的、対外的、そして日本の取り巻く環境を考えれば、現在の日本は危機的状況にある!!日本の国益と国防、安全を害する情報には今以上に厳正なる情報を求められる。情報の大小や社会的な立ち位置など、個人差は有るが!時として、我々の判断一つで変革になりうる!判断を長じて『決断』となる!!事の次第によって決断したら最後、後には退けない。判断とは発信側の意図を考えなければならない。

 日本に武士の在り方を説いた、佐賀の鍋島の『葉隠』の中に〝武士道とは死ぬことと見つけたり〟の代名詞がある。戦時中に軍人としての在り方を葉隠に求め愛読されたが、GHQの戦後反日教育で〝死ぬ為に生まれて来たら!生まれた意味生きる意味も無い!!〟これは正に捉える側の解釈で、日本人の心情を理解出来ないまま、一方的に結論をだしたに過ぎない。本来この『武士道とは死ぬことと見つけたり』とは武人にとって腰の軍刀(日本刀)を抜けば最後、魂である刀を簡単に抜くな。また、日本男児たる者の死ぬ気で日本の誇りを護れ。の意味が込められている。

 この場合は捉える側が日本人で無い訳で、当時の日本人の心情を理解できる事は出来ないから仕方がないが、何時の世も発信側と捉える側との歯車は完全に一致する事は無い。

 昨今、SNSなど書き込みも相手の顔が見えない分、文面だけでは、決して理解出来ない事がある。人は相手の顔が解らない、見えない、こう言う場合は殆んどマイナスにしか捉えない。何事も〝捉え方〟一つで変化してしまう。

 情報を求める以上、その情報を理解し、判断する。それにより結果つまり決断に辿り着く。人の歴史も捉え方、合理的に見るのも良いでしょう、しかし違った視点で歴史や情報を捉える事も大切です。何故なら、今現在を生きる我々は、先人以上に判断力が求められる時代に生きています。人類の歴史で未だ進化していない判断力。この判断力は、現在に生きる日本人の未来の決断になります。
 

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