大和魂の源流

 

 日本の國防や、文化、国家体制、などの外側を護る事だけが國體護持ではない。眼に見える外面よりも、その傳統や文化、言語や史蹟、などの眼に見えない國家を超越した在り方の中に共存する、日本獨特の、言葉で表せない精神の中に活きている、魂魄を護り続ける事が一番大切な事。欧米人や支那、朝鮮民族に理解出来ない、亡びし中に活きる価値。詰まり『滅びの美学』である。

 この美学の直决は…大楠公しかり、武士道精神の大和魂である。しかし多くの人は、この祟高な日本人の精神的支柱を勘違いをしている。
 滅びの美学とは、亡びし中に有る物。決して欧米の結果良ければ全て良しでは無い。例え結果が悪くとも、其処に至るまでの心情を尊ぶ事である。これが私達日本人が持つ本質的な価値観で大和心となる。心=魂であり大和魂とは、私達日本人の価値観を護る為にだけ発動される、世界に日本人だけが持つ魂魄である。それを、軽はずみ大和魂と連呼したり、あたかも自身の武勇伝を誇ったり、相手に挑発的な態度をとったり、また攻撃的威圧感を出す事は、大和魂ではありません。大和魂は、攻撃する精神ではなく、護るべき物の為に戦う精神。何故?日本刀は魂か、何故?武士は、むやみやたら刀を抜かないのか?それは、抜けば最後の命懸けだからです。大和魂大和魂と連呼したり、片意地を張る事自体、もはや刀をすぐ抜きたがる愚者と同等。刀は護るべき為にあり、護るべきは日本人の持つ、決して言葉で表現出来ない心情であり、命より重い目に見えない『魂』と言う価値を護る為の物。日本人は常に平常心を心掛ける事である。

 世界の民族意識の中にある、物は『プライド』詰まり意地である。世界基準で精神論理を見た時、明らかに世界は『意地』と同等の考えでしか無い。米国のヤンキー魂だの、民族の誇りだの、何々血だの云えど日本以外はプライド(意地)である。そのため、自身の生命の危険性を天秤にかけてまで、意地を張る民族は存在しない、また、個人的に存在しても少なく、英国の『不屈のジョンブル魂』と云えど、所詮は自身の命を投げてでも護るべき物は無いと言う考え方。詰まり、世界は『人の命より重い物は存在しない』と言う解釈である。
 唯一の日本に近い性質があるのが、イスラム教徒ぐらいだが、彼らは狂信的な原理主義であり、日本とは、全く異質の物である。しかし米国は9・11の同時多発テロ事件をスーサイドアタック自爆攻撃、『カミカゼ』と呼び、大戦時に日本の神風特別攻撃になぞらえた。とんでもない日本人なら民間人を無駄にまきこんでまでしない。またイスラム教徒の多くはジハード(宗教的な聖戦)を行ったら残った家族の幸せがあるだの狂信的な観念にあり、また幼い少年少女まで自爆テロの道具につかう。

 日本人の感性では全く理解不能な事です。欧米人の多くは物事を直線的、外面的に捉えやすい傾向にあるため、日本人の奥深い心情を理解する事は困難な様である。

 日本に武士道の精神世界を書いた、佐賀鍋島藩の『葉隠』なる物が有ります。この葉隠の代名詞が『武士道とは、死ぬ事と見つけたり』の一文が有ります。この文は、戦時中に武人の在り方、帝国軍人の心構えについて多いに読まれました。

 欧米人は『死ぬ為に産まれるなら、産まれて来た意味がない』・『命は何よりも重い、命を軽く扱う民族など、考えられない』など欧米人には到底理解不能だろう。

 この『武士道とは死ぬ事と見つけたり』とは武人として、『死ぬる覚悟で戦え』、『死して大義に活きる』、日本人の心情の一文である。

 日本人と文化、伝統、人種が違う欧米人に理解は難しい事なので仕方ないわけだが、今現在の日本に生きる私達日本人も理解出来ない状態に有りつつある。

 価値観や解釈は世界各国に於いて、違いがあるのは当然ですが、例えば、日本人は礼節を重んじる民族です、これを欧米人や仏教国の支那や朝鮮民族さえも、日本人が頭を下げるのを見て『頭を下げる?我々より下位の民族』と解釈しる付しがあるが、私達日本人は決して、そう言う意味合いで頭を下げるのでは無い。飽くまでも『人としての礼儀』であるが、価値観や民族の存在意義の違いからか、世界の礼儀礼節は絶対権力者や力ある者に対して態度。詰まり、屈する事を意味する様である。

 日本人の価値観の中にある礼儀礼節は、『相手を敬う』と言う心情がある。例えば日露戦で乃木大将が露のステッセル将軍に対して、勝った日本の乃木大将が自らの刀を負けたステッセル将軍に勇猛果敢に戦ったと佩刀(はいとう)を手渡している。刀は武人の魂であるが、日本人は勝った時にこそ、人としての徳、詰まり礼儀礼節が試される考えからです。世界的には、勝った方が負けた方に対して、搾取したりするものです。利が先に立ちます。合理的主観の欧米人には、大和民族の価値観や『わびさび』など解るはずありません。


●日本人のこの祟高なる精神は、《神道》が源流です。


●外に非(あら)ず、内より滅ぶ
 絶対権力を持つ国家や一枚岩の組織、結社、などこの世に存在する、あらゆる結合体は、必ず滅ぶ時、『内側から滅ぶ』。これは、人間社会が造り上げた、どの様な結合体も人と人により、形成しれた物です。ですから外側は強く、相手に異論や攻撃を受けると反発し、結束力が高まりますが?結合体は、人と人の成り立ちで有りますから、一人の心が離れると弱く、非常に内面はもろい。先の大戦や元寇など、日本も外敵に対しては非常に強く、圧倒的な敵にも一歩も退くことなく勇猛果敢に戦いました。ですから現在、日本のおかれている状況は危機的状況と言えます。国内には多くの反日勢力が蔓延り、保守派などと云えど、所詮戦後の米国に創られた政党など、日本に本当の保守派政党など存在しない。詰まり日本は戦後GHQにより、完全に骨抜きにされた。そこには、民族の誇りや大和魂は存在しない。GHQは大和魂の精神を恐れ、二度と復活出来ないように、国学書を焼き付くした。また、尊皇愛国団体(民族派、右翼)を『危険分子の結社』として解体、日本全国の二百近い団体を解体した。終戦後に内地に帰還なされた、兵士の方々は犯罪者扱いで、彼らが戦後の日本社会で生きて行く中で口を閉ざし、多くを語らなかったか、その心情を理解しなければ民族の再生は皆無である。精神世界の中で、最も気高い民族は、大和民族である日本人である、日本人は本来、堪え忍ぶ心を知っている、いわゆる『押忍』の精神である。もう一つは、『気』これは重要な全ての始まりの魄(はく)。


●氣…気は万物全ての『活』の源である。何事に於いても、気を奮う事無くば、心定まらず志立たず、道歩めず。人は日常生活に於いて、気を意識する事は、ほとんど無い、そして気など古めかしい非現実的で現代人は無関係な物と判断するが。しかし多くの人は自分が窮地に陥ると気を奮う。それは、いついつ迄に仕事を終らせる時、支払い日が迫り、工面する時、事件や事故などに巻き込まれそうになった時。普段の安定的状況では中々、意識しないのが現状だが。この気こそ最も意識して生活しなければならない物です。気は自分自身が生きている証です、本当の気疲れとは集中している時間。これを昔の人は『気を張る』と言い、集中の時間は人により個人差は有るものの非常に短い、苦手な事ほど気を奮う時間は短く疲れやすい
。逆に気が自身の好きな事に入ると、疲れにくい疲れない。そこまで行くと集中し熱中して夢中になります。気は上手く活用出来ないと言うより、活用する事を現代人の多くが知らない、また夢中になる事を忘れてしまっているぐらい現代人は忙しく、何かに逐われる様に生活している。本当の幸せを無くしている。現代人の多くは、人の心を理解しょうとせず、自分の事、自分本位で自己を主張するが、自分自身の存在価値その物を余り考えません。例えば神明に祈る時に、多くは自分の欲を願う、願う時に必ずと言っていいほど、自分の欲望の為なら気は集中している。その様な人は自分が熱中できる物に出会っても、その熱中した物を達成する事は出来ないでしょう。


●覺悟を決める…人の一生は試練の連続です。しかし神明は必ず、その試練の壁を越えれない試練は与えず、必ず越えれる試練を与えます、越える越えれないは、貴方自身の覚悟により決まります。根性は覚悟の度合いによるもの、覚悟にすら至らない根性は、ただの意地でしかなく、根性と意地は、非て同じ物だが、根性と魂は完全に似て非なる物、命すら度外しする存在が『魂』である。
魂以外は全て、自己主張や自分ありきの物、よく命と魂を同等に見る事があるが、全く別物の別格
です。魂は覚悟に等しい物で根性は意地に等しい存在です。
●精神主観…欧米各国は、精神の位置づけを頭、詰まり考えや、その人の生まれ育った環境や関わった人の影響で決まるという解釈です。これは日本も世界各国、同じ解釈でしょう。しかし、日本の精神主観は、更に掘り下げて考えます。そうなると合理的な観念に無く、欧米の考えなど日本にとっては、外面的となる分けです。日本人は精神という物を考えた時に、頭では無く、必ず心から発動されたと解釈します。例えば、日本人は相手に何かをしてもらった場合、必ず頭を下げる行為『礼』をします。この時に本来、日本人は相手自身では無く、相手の心に対して、相手の節義に礼をします。これを欧米人は、歴史的に相手に頭を下げる時、多くは服従を意味し相手の行為に対して礼をする事が有るものの、日本人ほど掘り下げて考えません。欧米の感覚は『形』が本質です。日本の場合は『形』も大切にしますが、そこに必ず存在する『真心』に対し礼をします。
 この様に日本人は、内剛外柔、自らを清く正しく保つ、また保ち続けてきました。内に純正な気を保つことにより。吐き出す言葉に霊魄が宿り、言霊が産まれます。年末に皆さんが一年間お世話になった知人や友人に書く『年賀状』も言霊の観点から来ています。良い言葉を発する事により、相手方に純正の想いを届ける。また、学校などで見られる応援団も言霊の観点から来ています。声を届ける事の意味、詰まり言霊の力であります。発する者が純正であればあるほど、気は高くより良い物となりますから。発する側は常に自らを厳しい環境に身を置き、自己鍛錬をします。たかが応援、されど応援であります。日本人にとって言葉は大切な物、代々日本人が言葉を大切にしてきたのは、万物すべてに霊が宿ると云う概念である、言霊です。言葉は心より発す、貴方の、その人の心の声と同じと云う事です。
日本人ほど精神生命を超越した民族は、この世に存在しません。
 しかし、敵は日本人の持つ弱い心も知っている。日本人は純心で有るがゆえに自虐的主観を受け入れやすい、そして日本人の優しさを利用している。日本人は何故?他国に比べて、純心なのか? 何故?心優しい民族なのか?…それは、日本という国自体、古代から島国で多民族の影響を受けなかった事、支那から文化的影響を受けながらも独自の文化と感性を育んだ事。そして何より『言葉』自国の言語を持ち使っている事。言葉を日本人は古来より大切にしてきました。日本は現在、年長者や相手側に対する言葉、『敬語』も上手く使えない知らないと云う状況です。国語、母国語がある事は民族の誇りです。魂なのです。母国語すら生滅した民族は民族としての価値を失い滅び行く運命に有ります。
 
●美しさとは?…現在の人間社会で美しさとは、きらびやかに彩る物。また、アクセサリーや身なりを着飾る事などだが、これは外面的な物質美であり、これは西洋式の美で芸術的な感覚による美徳。日本人の本質的な美では無い。日本も目に見える物を評価しますが日本人は、その奥底にある美も評価の対象とします。奥底の美とは、その物理的物質的な中に存在する創られるまでの時間や形成した人の想いを評価して美徳とします。しかし明治維新後の西洋化政策に於いて、近代国家の道を歩み出した日本は武士の魂である日本刀を時代錯誤で何の値打ちもないと評価しました。また、西洋人は日本刀を美術品として買い取り、日本人も自ら和の心をすて、洋魂洋才となりました。本来ならば、和魂洋才。西洋にかぶれども心は常に和魂に在り…

私達、日本人の魂は簡単に崩れさる物ではありません。…しかし、だからと云って心と魂は不二なる存在ですから、常に心を忘れず、自分と向き合えば魂は再び昂るでしょう。常に魂魄(こんぱく)は汝の中に在り…


 

© 2023 by Don Richards. Proudly created with Wix.com