國學

 我が国の学問〝国学〟は心学 なり。

 神道+儒学+武士道の大道たる分を抜粋した文学。

 我々日本民族は、幕末期に尊皇攘夷というイデオロギーの精神の源であった尊皇、佐幕、公武、倒幕それぞれが己の正義なる錦の御旗をかかげ、国家また武士道に忠誠を誓って挑んだ激動の時代である。その時代を乗り越えたからこそ、明治、大正、昭和が在る。

 何故に大東亜戦の若い特攻隊員の遺書や詠はこれほどまでに完成しているのか? 

 今現在の若者や中年世代など足元にすら及ばぬ教養の高さ、その源流は幕末から受け継がれる精神である。この意を分らぬと幕末はもとより、明治から昭和の精神も理解はできない。当時あらゆる武士は佐幕、倒幕を問わず尊皇主義者で超佐幕派の新撰組局長の近藤勇も『日本外史』の楠木正成に涙を流すほど尊皇主義者であった。

 〝尊皇〟と〝攘夷〟それは支那の「華夷の弁」、即ち支那は己の国を最も尊き中華として世界の中心の花とし、その外に在る国を夷狄(いてき)とする中華思想であり、この外部の賊を撃攘する事を攘夷と言った。しかし、我が国の兵学者であり、思想家の山鹿素行は、我が日の出國、神州日本こそ〝中華〟であり、中朝であると言った。山鹿素行は『中朝事実』なる書を著したぐらいである。そして、「湯武放伐」(支那では王がその威力を失うと、この帝王を討伐し、新たに力のある帝王が立つ事が一般的な考えとされる)。これは我が日本では倒幕派に影響を及ぼしたと考えられる。易姓的革命思想だが日本ではこれが限界と見てよい。 なぜなら、我が日本には万世一系の天子様が君臨なさるからだ。戦国の世、あの信長公ですら京都の御所の近くでは下馬し、日本古来の神社に対し敬うこともあったほどである。

 国学は大きく分けて二つある。

 朱子学陽明学である。

 朱子学は武士道。陽明学は士道と言った所だろう。

 朱子学…支那南宋時代、朱熹(しゅき)の儒学。先人の考えを継承し、真理に重きを置き、己の心に刻む学問。我が日本では江戸幕府に特別庇護され、林羅山、藤原惺窩(ふじわらせいか)、昌平黌(しょうへいこう:幕府直轄の学問所)。

 陽明学…支那明時代、王陽明が興した儒学。〝知行合一〟を考え、行動そのものに重きを置き、己の心に刻むだけでは物事に完成なしとして、行動し実践する事にある。その行動する事が失敗しても、その行動を起こす事に意味がある。中江藤樹(なかえとうじゅ)、熊沢蕃山(くまざわばんざん)。この陽明学こそ幕末日本の源流となった。〝知行合一〟は、朱子学で真理を学んだ武士を勤王志士として行動する事となる。

 この陽明学があったからこそ明治維新が達成されたのである。

 中江藤樹を祖とし始まり、熊沢蕃山―山鹿素行―大塩平八郎と流れ、幕末の志士、吉田松陰、その師である佐久間象山、幕府が最も恐れた儒者である橋本左内、また、横井小楠、西郷隆盛、勝海舟、河井継之助、大橋訥庵(おおはしとつあん)、平野国臣(ひらのくにおみ)、高杉晋作、久坂玄瑞、そして水戸烈士の徳川斉昭、会沢正志斎、藤田幽谷、藤田東湖など名立たる男達が奉じた学派である。

 また、朱子学=武士道であり、己の命など大義名分のため、君主のため命より名を惜しむ。神道、仏教、密教、修験道、儒学の融合。忠誠に重きを置き、武勇にして君主絶対制の道。

 陽明学=士道であり、己の命など大義名分のため、至誠のため、命より不義不誠を嫌う鉄心なる誓い。君主に対して忠誠を誓うが、その君主たるが悪政を行う者であれば忠義を尽くすこと無し。主に対してではなく、己の人格に対して修行を行う。神道、儒学の融合。志を立て、ただひたすら一本の義道を行く。仁義にして人格絶対制の道。

 

 

 

 

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